彼女のおかげで、今の私がいる
私は11年間付き合った親友がいます。彼女の名前は「ゴックミ」です。「ゴック」は非常にきれいで、大変貴重な宝玉という意味です。「ミ」は美しいという意味です。名前の通りに、彼女は美人で、頭が良くて、なんでも上手な人です。
友達になったきっかけは中学生の2年生の時、学校の運動会で同じダンスチームに入ったことです。中学生の時、同じクラスで、彼女は4年間班長でした。頭が良いし、歌もうまいし、それに可愛い女の子だったので、先生たちや友達の人気者でした。一方、その時の私は普通の学生で、成績もよくないし、格好も普通だし、目立つ学生ではありませんでした。だから、高校に入った時、彼女は専門クラクに入れましたが、私は普通クラスになりました。3年間クラスは違いましたが、家が近いので、よく一緒に学校へ行き、一緒に帰りました。夜には彼女の家で一緒に勉強しました。大学に入れるように、夜の塾も一緒に参加しました。10時ぐらいに塾が終ってから、彼女の家に帰って、一緒にシャワーを浴びたり、ご飯を食べたりしました。彼女は器用な人でいろいろな美味しい料理を作ってくれました。食べてから、深夜まで勉強しました。
彼女の家族はお金持ちで彼女もとても素敵なのに、普通の家族で何の取りえもない私とどうしてこんなに仲良くしてくれるのだろうかと私はいつも考えていました。もし私と付き合って、彼女の成績がどんどん落ちてしまったら、どうしようと心配しました。でも彼女はそんなことを気にしないで、ずっと私のそばにいてくれました。
私の家は家計が苦しいから、私が大学に入ることに祖父と親はとても反対しました。高校3年生の時、反対された私は寂しくて、彼女の部屋で何回も泣いていました。そんな時、彼女はいつも私のそばにいて、慰めてくれました。そして、私が大学に入れるように、応援してくれました。数学も文学も英語も教えてくれました。だから、私も彼女の気持ちに応えようと、親の反対をものともせずに、必死に頑張りました。その結果、彼女は第1志望の有名な大学に合格し、私も目指した大学に合格しました。今でも時々考えます。あの時、もし親の言う通りにしていたら、今ごろ私はどんな生活をしていただろう、だれかと結婚して子供もいるかもしれません。
将来のために、私は大学の二年生を中退して、日本に来ることを決めました。彼女も私もさびしかったですが、彼女も分かってくれて、応援してくれました。
そんな彼女とずっと一緒にいたかったのに、去年から離れてしまいました。日本に来てからも彼女とはよく連絡をしています。時々彼女は「ショッピグへ行きたいのに、あなたがいない」とか、「早く帰ってきて、一緒にいろんな所へ旅行したい」とか、「美味しいものを一緒に食べたい」と言います。そんな時は私も悲しくて、懐かしくて、早く帰国したい思います。でも、将来のために、数年間日本にいることに決めました。
今年、彼女も大学を卒業して、銀行に就職しました。来年の4月に、彼女は日本へ来て、一緒に桜を見に行くつもりです。日本で会えることが非常に嬉しくて、早く桜の季節にならないかとドキドキして待っています。
彼女と親友になれたことに感謝しています。彼女とはずっと親友でい続けたいと思っています。彼女は私の青春そのものです。